2014年4月15日火曜日

吉備の国が邪馬台国

今日の山陽新聞によると、蒜山地域に、「高天原は蒜山」であったと。地域住民の方々が何か団体を作り、これからは活動されるとあった。
 
 やっとこの運動が表に出てきたかと。

高天原伝説と表裏をなすのが、邪馬台国の位置。邪馬台国が何処にあったかは江戸期新井白石の昔から、九州、大和奈良の論争が、学会、在野の歴史家を中心になされてきた。

 手塚治虫は作品の中で九州説、松本清張も九州と。東大系は大和奈良説に。
 ここにきて、吉備の国が邪馬台国であったとすると、対立していた狗奴国が大和となる。

 吉備津神社は大和朝廷が吉備の国を制圧した名残り、狗奴国が邪馬台国を制圧し、卑弥呼の跡継ぎ「トヨ」を奈良へ連れ去ったと。
 以前行った倉敷にある楯築遺跡あたりが、邪馬台国の中心地。
ここらあたりのお話をまとめられているのが、


 こちらの本他。岡山・吉備の国が邪馬台国であったなんてロマンがあって楽しいですね。
 美作の隣は周匝、スサオノノミコトの同音、こちらに何か伝説がありましたね。
 天石門別神社は福山と河合の接するところ。
蒜山が高天原であってもおかしくは無いですね。まあもう少し勉強してみないと。

余談;
大和が吉備に入ってきたときの前線基地は播磨に。
秀吉が岡山・宇喜多に迫ってきたときは、姫路・黒田官兵衛。
神代の昔から吉備の国は播磨に苛められてきたのかな?
湯郷ベルさんよ、次のアイナック戦、頑張ってね。


2 件のコメント:

  1. 真庭市の蒜山振興局にに行けばロビーに蒜山高天原説を書いた資料が展示してあったように思います。
    いろいろ古代のことを想像してみるのもおもしろいですね。

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  2. 余談の余談
    わが三ツ星城は尼子氏に攻められたとか・・・

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コメント有難う御座いました。