やっとこの運動が表に出てきたかと。
高天原伝説と表裏をなすのが、邪馬台国の位置。邪馬台国が何処にあったかは江戸期新井白石の昔から、九州、大和奈良の論争が、学会、在野の歴史家を中心になされてきた。
手塚治虫は作品の中で九州説、松本清張も九州と。東大系は大和奈良説に。
ここにきて、吉備の国が邪馬台国であったとすると、対立していた狗奴国が大和となる。
吉備津神社は大和朝廷が吉備の国を制圧した名残り、狗奴国が邪馬台国を制圧し、卑弥呼の跡継ぎ「トヨ」を奈良へ連れ去ったと。
以前行った倉敷にある楯築遺跡あたりが、邪馬台国の中心地。
ここらあたりのお話をまとめられているのが、
こちらの本他。岡山・吉備の国が邪馬台国であったなんてロマンがあって楽しいですね。
美作の隣は周匝、スサオノノミコトの同音、こちらに何か伝説がありましたね。
天石門別神社は福山と河合の接するところ。
蒜山が高天原であってもおかしくは無いですね。まあもう少し勉強してみないと。
余談;
大和が吉備に入ってきたときの前線基地は播磨に。
秀吉が岡山・宇喜多に迫ってきたときは、姫路・黒田官兵衛。
神代の昔から吉備の国は播磨に苛められてきたのかな?
湯郷ベルさんよ、次のアイナック戦、頑張ってね。
真庭市の蒜山振興局にに行けばロビーに蒜山高天原説を書いた資料が展示してあったように思います。
返信削除いろいろ古代のことを想像してみるのもおもしろいですね。
余談の余談
返信削除わが三ツ星城は尼子氏に攻められたとか・・・